再会から一年後の冬。
突然届いた友からのメール。
「お前の家の近くを通って山に行く。一緒に乗らないか。」
そんな誘い、断る理由なんてない。
二つ返事で決まっていた。
まだ夜が明けきらない時間、
家の近くのホームセンターの駐車場で待つ。
冷たい空気の中、胸だけが妙に熱い。
そして——来た。

遠くから、聞いたことのない排気音。
暗闇を切り裂くヘッドライト。
その光と音が近づくにつれ、
あなたの胸の奥にしまっていた“憧れ”が震え始めた。
見たことのない光景。
でも、ずっと見たかった光景。
その瞬間、
「やっと、乗るときが来た」と思った。
🛠️ この一年、ずっと準備していた
通勤の電車の中で、
何度も何度も車庫のスケッチを描いた。
- 妄想の図面
- 現実的な寸法
- 夢と実用のバランス
- どんな棚を作るか
- どんな照明にするか
- どんなふうにセブンを迎えるか
そのスケッチは、ただの落書きじゃない。
“夢を現実に引き寄せるための行為”だった。
誰にも見せていないけれど、
もうずっと前から動き始めていた。
🚗 これは、通過儀礼だった
ミーハーなんかじゃない。
むしろ逆で、ずっと胸の奥にしまっていた“若い頃の自分”と、
今の自分がようやく握手する瞬間だった。

- 片足を差し込む
- フレームに手を添える
- ゆっくりと腰を滑り込ませる
- もう片方の足を収める
この一連の動作は、
「本当にこの世界に入っていいのか」
と自分に問いかけながら、
そして
「ようやくここまで来た」
と静かに確かめるような時間だった。
セブンは、乗り込むだけで“覚悟”を求めてくる車。
だからこそ、自分にとってはそれが儀式になった。
🚗 “完全防備”という名の準備運動
ダウンジャケットで膨れた身体を、あのタイトなシートに馴染ませる。
ビニールレザーの簡素なドアをホックで留める。
そしてシートベルトを締め、
ゴーグルをかけ、
ネックウォーマーを巻き、
ニット帽を深くかぶる。
この一連の動作は、まるで
「これから非日常へ入る準備を整える」
そんな儀式のように感じられる。
その瞬間、
日常の自分をひとつずつ脱ぎ捨てていく。
🌙 そして、闇の中へ走り出す
エンジンの振動が身体に伝わり、
冷たい空気が頬を刺し、
ゴーグルの向こうに街灯が流れていく。

普通の車ならただの移動。
でもセブンは違う。
走り出した瞬間から、すべての感覚が“生き返る”。
長い年月を経てようやく辿り着いた場所。
その最初の一歩が、
“闇の中を走り始める”
🚗 バイクと似ている。でも、決定的に違う世界。
加速、風、振動。
確かにバイクと共通している部分はある。
でも、目線が違う。
- 地面との距離が異常に近い
- ケツの下10センチにアスファルト
- 目の前の世界が“地を這うように”流れていく
この低い視点は、バイクでも味わえない。
セブンは、ただ速いんじゃなくて、世界の見え方そのものを変えてくる。
🔊 音が身体に入ってくる
街中だから信号がある。
30キロから60キロの加速を何度も繰り返す。
普通の車ならただの“加減速”。
でもセブンは違う。
- 低速の排気音が建物に反射して返ってくる
- 加速のたびに身体がシートに押し付けられる
- 風が顔を叩く
- ゴーグル越しに街灯が流れる
久しぶりに“生き物としての感覚”を取り戻していた。
👥 そして、横にいる“あいつ”の存在
横で運転している友。
学生時代、一緒にバイクで走った“無二の友”。
風と排気音で声は聞こえにくい。
でも、聞こえなくても分かる。
「どう?」
「!」
言葉じゃない。
声じゃない。
でも、伝わる。
あの瞬間、
俺と友は、20代の頃の自分たちに一瞬だけ戻っていた。
🌄 夜明け前、山の入り口で始まる“別世界”

夜明けの薄暗さの中、コンビニの駐車場で身体と車を少し休める。
ビニールレザーのドアを外すと、空気が変わる。
信号をひとつ越えたら、もう日常は終わり。
そこから先は、ただ“道”だけがある世界。
🚗💨 エンジン、ギア、風、そして身体が蘇る
2速、3速とパワーバンドを感じながらシフトアップ。
と思ったら、すぐに2速へシフトダウンしてブレーキング。
ハンドルを切ってコーナーへ飛び込む。
アクセルオン。
次のコーナーを探しながら3速へ。
4速を使うのを堪えて、3速のまま緩いカーブを加速しながら駆け上がる。
直線で一瞬だけ加速。
すぐに2速へ落として減速。
回転が落ちないようにアクセルを合わせる。
そしてまた次のコーナーへ。

アスファルト、空、木の枝。
アクセルとシンクロする排気音。
友のシフトチェンジ、アクセルワーク、ブレーキング。
すべてがひとつのリズムになる。
🏍️ 身体が覚えていた“あの感覚”
外側の足に力が入り、身体が内側に倒れる。
視線は次のコーナーと、もしかしたら現れるかもしれない対向車。
この身体の動きは、まさにバイクと同じ。
身体は、忘れていたはずの感覚を一瞬で思い出した。
🌫️ 生活の外側にある時間
この時間はバイクと同じ。
今まで忘れていたもの。
今までの生活の中に存在しなかったもの。
そう、生活から離れるためにここにいる。
“走り”を取り戻したんじゃない。
生活の外側にある、自分だけの時間を取り戻したんだ。
仕事でも家でもない。
役割でも責任でもない。
ただ、自身の感覚だけが存在する時間。
その時間を思い出した瞬間、
セブンは単なる憧れの車ではなく、
人生に必要なものになったんだと思う。
🌄 走り終えたあとの、あの静かな時間
山を抜けてスローダウンしながら、木漏れ日や空を眺めて下っていく。
あの時間は、走りの興奮とはまったく違う種類の“満たされ方”がある。
- 緊張がほどけていく身体
- 朝の光が少しずつ強くなる感覚
- 風が優しくなる瞬間
まるで、走りの余韻を身体がゆっくり噛みしめているようだ。
🚗 日常へ戻るための“帰路”
山のリズムから、街のリズムへ。
ほかの車に混ざって走ると、さっきまでの世界が夢のように感じる。
でも、その夢は確かに身体に残っている。
アクセルの感触、排気音の余韻、友の横顔、そして自分の心の動き。
🏡 家の駐車場で、ひとつの答えが生まれた
家の駐車場に停めてもらった瞬間、
“この光景を忘れたくない”と思った。
ポケットからスマホを取り出し、写真に収めた。
いや、もっと正確に言えば——
この瞬間を待っていた。

写真に納めるという行為は、ただの記録じゃない。
長い間くすぶっていた想いが、
この瞬間に形になった証だ。
「いつかは自分も」
その言葉は、憧れではなく、
決意の手前にある静かな確信だと思う。
🌱 ここから物語が動き出す
この日の体験は、自分にとって“背中を押された日”ではなく、
心の奥で何かが静かに決まった日なんだと思う。
- 車庫のスケッチを描き続けた一年
- 友との再会
- 夜明け前の走り
- 家の前で撮った一枚の写真
すべてが一本の線でつながっていく。
🌅 非日常から日常へ戻った瞬間に生まれた“違和感”
山での走りは、身体の奥に眠っていた感覚を呼び覚ました。
風、音、視線、リズム、友の存在。
あの時間は“生き返る”ような体験だった。
でも翌朝、現実に戻る。
- 古い家
- 1台分の駐車スペース
- 屋根も扉もない
- 生活の匂いが染みついた日常
その光景を見たとき、思った。
「このままじゃダメだ」
いや、もっと正確に言えば——
「このままじゃ、あの感覚を迎え入れられない」
🏡 狭小戸建という“制約”が、逆に自分を動かした
普通なら諦める理由になる。
- スペースがない
- 古い家
- 車庫なんて無理
- 夢は夢のままにしておくべき
でも違った。
あの山の時間を思い出したとき、
“制約”はむしろ、自分を動かす理由になった。
「この場所に、あの世界を迎え入れるために、
自分で作るしかない」
そう思った瞬間、
古ぼけた家も、狭い駐車場も、
自分にとって“素材”に変わった。


